1980年代の漫才・お笑いブームの頂点に君臨し、国民的バラエティ番組『オレたちひょうきん族』などで茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ伝説のコントトリオ「ヒップアップ」。リーダーの島崎俊郎さん、哀愁あるツッコミで存在感を放った川上泰生さん、そして飄々とした佇まいで愛された小林すすむ(本名・小林進)さんの3人が織りなす青春コントは、昭和のテレビカルチャーを語る上で欠かせない金字塔です。
かつて一世を風靡した彼らですが、活動休止から年月が経ち、現在の歩みや消息を知りたいという声は後を絶ちません。名バイプレイヤーとしての早すぎる別れ、バラエティ界を牽引し続けた怪人の突然の急逝、そして今なお地方で芸の道を貫く姿など、メンバーの辿った道筋には知られざるドラマが凝縮されています。激動の時代を駆け抜けた3人の現在と、トリオの全盛期から解散に至る背景を徹底して紐解きます。
【2026年最新】ヒップアップメンバーの現在一覧|3人の今と明暗

昭和のお笑い史に強烈な足跡を刻んだヒップアップですが、結成から40年以上が経過した今、メンバーの状況は大きく変化しています。結論から言えば、3人のうち小林すすむさんと島崎俊郎さんの2名がすでに旅立たれており、現在も芸能活動を継続しているのは川上泰生さんただ一人となりました。
かつて同じ舞台で激しくぶつかり合い、爆笑をさらった仲間たちですが、トリオ活動休止以降はそれぞれの適性を活かした個別キャリアを歩みました。個性派俳優として映画やドラマに欠かせない顔となった小林さん、体を張った唯一無二のキャラクターでテレビ界を席巻し続けた島崎さん、そして九州・福岡のローカルメディアを支える重鎮タレントとなった川上さん。それぞれが選んだ道と、直面した過酷な運命のコントラストは、芸能界の厳しさと人間味を如実に物語っています。
『オレたちひょうきん族』で一世風靡|昭和を彩った名コントと名フレーズ
ヒップアップは1979年、名門・渡辺プロダクションのタレント養成スクール出身者によって結成されました。デビュー後すぐに頭角を現した彼らは、フジテレビ系の伝説的番組『笑ってる場合ですよ!』のお笑い勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」でチャンピオンに輝き、一躍スターダムへの階段を駆け上がります。
彼らの最大の武器は、学園モノをベースにした「青春コントネタ」でした。熱血漢の島崎さん、気弱でとぼけた小林さん、その間で翻弄される川上さんという絶妙なパワーバランスから繰り出されるテンポの良さは群を抜いていました。「それはないよ、お立ち会い!」「〜だもんなぁ」といったキャッチーなフレーズは当時の子どもたちの間で大流行し、学校の教室中で真似される社会現象を巻き起こします。
そして彼らの人気を決定づけたのが、フジテレビ土曜夜8時の怪物番組『オレたちひょうきん族』へのレギュラー出演でした。ビートたけしさんや明石家さんまさんら錚々たる面々が揃う現場で、体を張ったギャグと確かな演技力を見せつけ、昭和を代表するお笑いトリオとしての確固たる地位を確立したのです。
なぜ活動休止に至ったのか?ヒップアップ事実上の解散理由とナベプロ時代
絶大な人気を誇ったヒップアップですが、1990年代に入るとトリオとしてのテレビ露出が徐々に減少していきました。ファンやメディアの間では「不仲説」が囁かれたこともありましたが、実際の活動休止・事実上の解散理由は、メンバー各人のソロ活動の活発化と方向性の違いによる円満な移行でした。
きっかけのひとつは、小林すすむさんの俳優業へのシフトです。小林さんはコント時代から群を抜いた演技センスを評価されており、本格的にドラマや舞台へ挑戦したいという強い意志を持っていました。一方、リーダーの島崎俊郎さんは単独でのバラエティ番組出演が激増し、川上泰生さんも独自の表現活動や地方展開を模索し始めていました。
お互いの才能を認め合っていたからこそ、無理に「3人の枠組み」に縛り付けることをせず、それぞれが最も輝けるステージへ羽ばたく道を選びました。正式な「解散会見」などを派手に開くことなく、自然なフェードアウトという形をとったのも、大人の信頼関係があった証拠といえます。
【訃報の真相】リーダー島崎俊郎の急逝と「アダモちゃん」が遺した伝説
ヒップアップの精神的支柱であり、終生エネルギーの塊としてお茶の間を明るく照らし続けた島崎俊郎さん。その突然の別れが訪れたのは、2023年12月6日のことでした。享年68。死因は急性心不全と発表されています。
島崎さんは亡くなる直前まで普段通りに生活しており、インフルエンザに感染した後に体調が急変したと報じられました。あまりに唐突な訃報は、芸能界のみならず長年彼に親しんできた視聴者層に深い衝撃を与えました。直前までブログの更新やメディア露出を意欲的にこなしていただけに、まさに青天の霹靂でした。
島崎さんを語る上で欠かせないのが、ひょうきん族から生まれた不朽の怪奇キャラクター「アダモちゃん(アダモステ)」です。上半身裸に腰ミノを巻き、白塗りのメイクで「アダモステ〜!ペイッ!」と叫びながら縦横無尽に暴れ回る姿は、日本のテレビ史に残るインパクトを放ちました。どんなに時代が変わっても泥臭い笑いに誇りを持ち、全力で視聴者を笑わせようとした島崎さんのプロ意識は、後進の芸人たちからも深く尊敬されています。
名バイプレイヤー小林すすむの輝かしい俳優経歴と早すぎる病気・死因
トリオの中で最も早く俳優としての道を切り拓き、日本を代表する名脇役として定着していた小林すすむさん。しかし、彼の命を病魔が蝕んだのは、俳優として円熟味を増していた50代半ばの時でした。2012年5月16日、胃がんと肝臓がんのため、58歳という若さで帰らぬ人となりました。
小林さんの俳優経歴は実に華々しいものでした。特に以下の国民的人気作品で残した足跡は、今も多くの人々の記憶に刻まれています。
- 『踊る大捜査線』シリーズ:湾岸署刑事課盗犯係・中西修係長役
- 『花より男子』シリーズ:ヒロイン・牧野つくしの父親(牧野晴男)役
- その他、数多のサスペンスドラマやホームドラマで味のある日常の善人・小市民を好演
亡くなる直前まで映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』の撮影に命を削って参加しており、自身の病状の深刻さを周囲にほとんど悟らせないまま現場をまっとうしたというエピソードは、役者魂の極みとして語り継がれています。
唯一の存命メンバー川上泰生の今|福岡を拠点に刻む新たな芸道
島崎さんと小林さんを見送り、ヒップアップ唯一の生き残りとなった川上泰生さん。川上さんはトリオの活動休止後、拠点を自らのルーツである福岡・九州エリアへと移しました。
東京の中央集権的な芸能界から距離を置いた川上さんは、KBCラジオやRKB毎日放送など地元局の情報番組・バラエティ・ラジオ番組でメインパーソナリティやコメンテーターとして確固たる地位を築きました。持ち前の穏やかな語り口と、東京の第一線で培った洗練されたツッコミは、地元リスナーから絶大な支持を集めています。
また、自身が主宰する劇団や演劇プロジェクトを通じて後進の育成にも尽力。派手な全国ネットへの出演こそ控えめであるものの、地域に根ざした表現者として円熟の芸を披露し続けています。盟友2人の早すぎる死に直面した際には、深い悲哀と感謝のコメントを寄せ、ヒップアップという絆の重みを誰よりも心に刻みながら歩んでいます。
【ヒップアップのメンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ヒップアップのメンバーで現在も生きているのは誰ですか?
A1:現在存命のメンバーは川上泰生さんのみです。小林すすむさんは2012年5月に58歳で、島崎俊郎さんは2023年12月に68歳でそれぞれ逝去されました。
Q2:ヒップアップが解散した正式な年と理由は?
A2:明確な解散宣言の日は公表されていませんが、おおむね1990年代前半(1991〜1993年頃)に事実上の活動休止となりました。理由は喧嘩別れ等ではなく、小林さんの本格的な俳優業への移行や島崎さんの単独バラエティ出演の急増など、お互いの個人活動を尊重したことによる発展的な解消です。
Q3:島崎俊郎さんのアダモちゃんの由来は何ですか?
A3:『オレたちひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナーで誕生したキャラクターです。当初は台本にないアドリブ混じりの突発的な演出から生まれ、独特のフレーズ「アダモステ」「ペイッ!」とともに強烈な個性を放ち、単独の定番コーナーを持つまでの社会的人気キャラクターに成長しました。
まとめ:昭和のお笑い黄金期を駆け抜けたヒップアップの永遠の輝き
お笑いというエンターテインメントが劇的な進化を遂げた1980年代。その熱狂の真ん中で、ヒップアップが放った汗と笑いは、今なお色あせることはありません。
島崎俊郎さんの圧倒的な爆発力、小林すすむさんの繊細で温かな演技、そして川上泰生さんの的確な手腕。それぞれが異なるベクトルで天性の才能を発揮し、グループとしても個人としても日本のエンタメ史に消えない足跡を残しました。2人の仲間が空へと旅立った後も、彼らが遺したコントの革新性と愛すべきキャラクターたちは、昭和カルチャーの至宝として世代を超えて語り継がれていくはずです。