昭和から平成にかけて、お茶の間のテレビ画面を通じて日本中に空前の動物ブームを巻き起こした「ムツゴロウ動物王国」。猛獣の口に手を入れ、巨大なヒグマと抱き合って戯れる「ムツゴロウさん」こと畑正憲(はた・まさのり)氏の破天荒な姿は、フジテレビ系列の特番『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』とともに、国民的な記憶として今なお鮮烈に刻まれています。
しかし、一世を風靡した理想郷はいつしか表舞台から姿を消し、2000年代には東京進出の頓挫と巨額借金トラブルが世間を騒がせることになりました。創設者の畑正憲氏が旅立ってから時が流れた2026年の今、あの王国はなぜ閉園に至ったのか。莫大な負債を抱えた裏側と、かつての仲間たちが紡ぐ現在地を丹念な取材から紐解きます。
【ムツゴロウ動物王国 歴史まとめ】北海道浜中町の無人島から始まった熱狂の軌跡

ムツゴロウ王国の原点は、1971年(昭和46年)に遡ります。畑正憲氏が家族とともに東京都内の居を払い、北海道東部の浜中町に浮かぶ無人島・嶮暮帰島(けんぼっきとう)へ移住したことがすべての始まりでした。電気も水道もない過酷な原生自然の中で、ヒグマの「どんぐり」や馬、犬たちと暮らす生活は、まさに人間と動物の境界線を溶かす壮大な実験でした。
翌1972年には対岸の浜中町本土に広大な原野を確保し、本格的な拠点を設営します。ここに賛同した若者たちが全国から集まり、スタッフとして自給自足に近い共同生活をスタートさせました。彼らの泥臭くも温かい日常を切り取ったドキュメンタリー番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』は、1980年に放送を開始するや否や最高視聴率30%超を連発。日本中がこの北の大地にある「奇跡の王国」に熱狂しました。
最盛期には数百頭羽の動物と数十名のスタッフが寝食を共にし、観光地化を極力拒みながらも、出版物や映像作品を通じて唯一無二のカルチャーを築き上げていったのです。
創設者・畑正憲氏の異色すぎる経歴|東大卒エリート作家が自然へ投じた生涯
画面の中では「動物に無心で愛を注ぐひょうきんなおじさん」として親しまれたムツゴロウさんですが、その素顔は極めて怜悧な頭脳を持つ知性派でした。東京大学理学部動物学科を卒業後、同大学院修士課程に進学してアメーバの顕微鏡撮影や生理生態を研究。その後、学習研究社(学研)の映画局に入社し、記録映画の制作に没頭します。
1968年に発表した『われら動物みな兄弟』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞して作家デビューを果たすと、瞬く間にベストセラー作家へと駆け上がりました。さらにプロ雀士としても無類の強さを誇り、日本プロ麻雀連盟の初代十段位を獲得するなど、勝負師としての顔も持ち合わせていました。
監督を務めた1986年公開の映画『子猫物語』は、当時の日本映画歴代興行収入記録を塗り替え、配給収入約54億円を叩き出す社会現象に。学術的な知見、作家としての卓越した筆力、そして類まれな映像センス。これらが一体となって生まれたのが、畑正憲という稀代の表現者でした。
なぜ閉園したのか?東京進出の失敗と「3億円の巨額借金」がもたらした破綻の全貌
順風満帆に見えた王国に暗雲が立ち込めたのは、2000年代初頭のことでした。「北の大地へ足を運べない多くの人たちに、動物と触れ合う場を届けたい」という構想のもと、2004年に東京都あきる野市の「サマーランド」隣接地に「東京ムツゴロウ動物王国」を開園します。犬や馬など北海道から約300頭羽の動物と選抜スタッフを移住させる社運を賭けたプロジェクトでした。
しかし、この決断が大きな悲劇の引き金となります。オープン直後こそ話題を集めたものの、都心からのアクセス難や天候不順、高額な入場料設定が響き、来場者数は当初の想定を大幅に下回りました。加えて、運営を委託していた外部のイベント企画会社との間で資金繰りやマネジメント方針をめぐる深刻な対立が発生します。
結果として、開園からわずか2年後の2006年に運営受託会社が自己破産を申請。施設は2007年に無念の閉園を余儀なくされました。この際、代表者として連帯保証人に入っていた畑正憲氏の元に、約3億円にのぼる巨額の借金がのしかかることになったのです。
北海道の浜中町にあった本家王国は、そもそも一般公開を主目的としたテーマパークではなく、畑氏個人の私有牧場でした。東京進出のために戦力を割き、莫大な負債を抱えたことで、共同生活体としての維持が事実上困難となり、組織的な「動物王国」としての歴史に静かに幕を下ろすこととなりました。
畑正憲氏の晩年と最期|87歳での別れと家族・スタッフが見届けたもの
背負った3億円の借金に対し、畑氏は一切の自己破産を選びませんでした。身銭を切り、自慢の筆を執って膨大な原稿を書き続け、講演活動や麻雀大会への出演など、寝る間を惜しんで働き詰めた末、十数年をかけて負債をほぼ完済するという驚異的な執念を見せました。
晩年は北海道・中標津町のログハウスに移り住み、妻の純子さんとともに穏やかな日々を過ごしていました。心臓のバイパス手術を受けるなど満身創痍の体でありながら、最晩年までYouTubeでの動画配信を始めたり、画筆を握って大型の油彩画を描いたりと、表現への意欲が衰えることはありませんでした。
そして2023年4月5日、畑正憲氏は心筋梗塞のため87歳で永眠。知らせを聞いた日本中から追悼の声が寄せられ、かつて王国で苦楽を共にした元スタッフたちも、恩師との別れを惜しむために北の大地へ集まりました。最後の瞬間まで自然と動物を語り続けた、波乱万丈の生涯でした。
【2026年最新】ムツゴロウ動物王国の跡地と元スタッフ・家族の現在地
巨星が去り、時を重ねた現在、かつて熱気に満ちていた拠点はどうなっているのでしょうか。北海道浜中町にあった広大な王国跡地は、一部が牧草地や原野へと自然回帰しており、一般の立ち入りは制限されています。記念館や観光施設として商業利用されることはなく、ムツゴロウさんが愛したありのままの北海道の自然が広がっています。
畑氏の遺志を継ぐ家族の歩みも続いています。長年連れ添った純子夫人、そして長女の明日美さんらは、畑氏が遺した膨大な著作や絵画、記録映像などのアーカイブを大切に管理し、その思想を次世代へ伝える取り組みを静かに支えています。
かつて王国で青春を捧げたスタッフたちも、それぞれの道を力強く歩んでいます。乗馬のスペシャリストとして牧場を経営する者、動物看護やドッグトレーナーとして現場を支える者、地域の自然ガイドとして生きる者など、今や全国各地の動物関連産業で中核を担っています。「動物の目線に立って命を感じる」というムツゴロウイズムは、組織という形を失ってもなお、彼らの血肉となって息づいています。
【ムツゴロウ動物王国】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:北海道にあったムツゴロウ動物王国の跡地は現在、観光や見学ができますか?
A1:観光施設としての見学はできません。浜中町の本拠地跡は私有地および自然地となっており、観光客向けの公開は行われていません。無断での立ち入りはトラブルの原因となるため控える必要があります。
Q2:東京ムツゴロウ動物王国が破綻した最大の原因は何だったのですか?
A2:郊外立地による集客予測の甘さに加え、敷地造成費用の膨張、さらに施設運営を担っていた外部パートナー企業との経営方針の不一致が重なり、資金ショートを起こしたことが直接の引き金となりました。
Q3:残された動物たちは閉園後どうなったのでしょうか?
A3:東京の閉園時、動物たちが殺処分されるような事態は避けられました。スタッフたちの懸命な尽力により、北海道の牧場への引き取りや、全国の提携牧場、信頼できる里親、動物保護施設へと計画的に再配置されました。
まとめ:動物との共生に命を捧げたムツゴロウさんが残した遺産
ムツゴロウ動物王国の歴史は、理想と現実の狭間で揺れ動いた壮大な挑戦の記録でした。ビジネスとしての東京進出は手痛い失敗に終わり、巨額の負債を背負うことにはなりましたが、畑正憲氏が身をもって示した「動物たちと魂で対話する」姿勢そのものが色褪せることはありません。
ペットを「家族」として愛し、命の尊厳を考えることが当たり前になった現代の日本。その価値観の土台には、かつて北の大地で泥だらけになりながら動物たちを抱きしめ続けた、一人の情熱的な男と仲間たちの足跡が確かに刻まれています。